もうすぐ運動会🏃♂️💨🎶
こんにちは🙌Ouchiの大串です🥰
我が家の息子達は明日❗❗運動会です✨💁♀️
今年は数年ぶりに、同居の家族以外の人の参観もできるようになりました🌞
息子達もおじいちゃん、おばあちゃんが来てくれるので気合が入ってます💪❗❗
今後もみんなで参観できる運動会が続けばいいなぁと思います🎶🏃♂️
さて、そんな楽しい運動会ですが、古い歴史や色んな雑学があるのはご存じですか❓💁♀️
今回は運動会のあれこれをご紹介いたします~~🌟🙌
運動会を日本で初めて行ったのは「海軍士官」
1874年(明治7年)、海軍士官の養成所で行われた「競闘遊戯(きそいあそび)会」は日本で初めての運動会とされています。
実際に行われたプログラム表は現在も残っており、今でいう「徒競走」や「玉入れ」といった競技名とは異なるようです。
例えば…
『雀雛出巣(すずめのすだち)』…12歳以下の生徒が150ヤード(137m)の距離を走って競う。12歳以下に限定したことから「スズメの雛」と名前がつけられたと予想される。
『蛺蝶趁花(ちょうちょうの はなおい)』…二人一組となって互いの脚を結び、二人三脚として走って競う。二人が交互に身体を動かしたのが蝶々の羽をイメージしてその名が付けられたと予想される。
生き物の名前が付けられている様子から、競闘遊戯会の楽しい雰囲気がこちらにも伝わってきますね。
後にこの競闘遊戯会を知った初代文部大臣の森有礼氏(もり ありのき)は、全国の学校に運動会の開催を義務付けたそうです。
「運動会」と「体育祭」の違い
小学校・中学のころは「運動会」だったのに、高校から「体育祭」と呼び名が変わったことに皆さんは気付きましたでしょうか?なぜ、一貫して「運動会」と呼ばないのか、それはこの行事を行う目的が学校によって異なるからなのです。
運動会は、教員が主体となって企画、運営、進行を行います。企画される競技は、徒競走や保護者参加型の競技など、個人に限らずさまざまな人が楽しめるものとなっています。
子どもたちが体を動かすことを目的としているため、最近では順位を付けない(重要視しない)学校も増えてきました。
体育祭は、教師ではなく生徒が主体となって運営、進行に参加します。個人競技もありますが、クラス対抗や部活対抗など、チームを組んで行う競技が多くあります。その理由は、団結して今までの成果を発揮させることが体育祭の目的だからです。
運動会と体育祭では、そもそも開催する目的が違ったのですね。
保護者と一緒に参加する楽しみがあれば、仲間と一丸となって勝利を目指す楽しみがあるのも、この行事の魅力のひとつといえるのではないでしょうか。
運動会定番の「玉入れ」には正式なルールがある
運動会の定番競技ともいえる「玉入れ」。実は公式でルールが定められているのをご存じですか?
玉入れの公式ルールについて簡単に説明すると、出場選手は4〜6名。合計100個(アジャタボール99個、アンカーボール1個)のボールをバスケットに早く入れた方が勝ちです。
競技に使われる用具もサイズが定められており、バスケットの直径と深さは44cm、高さは4m12cm、バスケットを中心とした円形のコートは直径6mとなっています。
選手は後ろ向きで円の外から始まり、号砲と同時にボールをバスケットの中に入れていきます。
ちなみに、全日本玉入れ選手権で日本新記録となったタイムはなんと6分51秒!
・・・むちゃくちゃ早いのでしょうが、ピンときませんよね(笑)
なぜ赤と白?
運動会といえば「紅組」と「白組」。なぜに赤と白だと思いますか?
赤と白の由来は、平安時代に敵対していた源氏と平家の源平合戦の折、源氏が白旗、平家が赤旗と、敵味方を区別するために掲げていた旗なのだそう。
もしもその時、黄色と緑だったら黄組、緑組だったのかな??
少しですが、運動会のあれこれをご紹介させていただきました😄🌟
私たちが小学生の頃は、紅組vs白組で戦う種目ばかりでしたが、今どきの運動会は流行りの曲に合わ
せてみんなでダンスするのが主流になっていますよね🕺🎶
時代と共に運動会も変化するのですね・・・🤗
騎馬戦とかカッコよかったな~~~🐎🙏🥹
みんなで盛り上がれる運動会になりますように✨🏃♂️💨